どうもアトピーアラサーサラリーマンのハナピクです。これからアトピーのことについていろいろ書いていく前に、まずは自身のこれまでのアトピーの経緯について書いておこうと思います。書き起こすことで何かの気づきになればと思います。
発症~幼少期の記憶
発症したのは小学生になる前だったので6歳ぐらいでした。
発症の原因はよくわかりませんが、自分はよくベッドの下や押し入れなど狭く埃っぽいところに潜り込んでいたので、もしかしたらそういったところで自身の許容量を超えたアレルゲン物質(ハウスダスト)を取り込んでしまい、発症したのではと思っています。
なので自分の子供へはそのような埃っぽいところへは行かせないようにさせたいと思っています。
あとは部屋を清潔に保つ!
親や兄弟にアトピーの症状はなく、また周りの友達にもアトピーの症状の子はおらず、自分だけ掻きむしっていたのでとても辛かったです。
当時から月に一度は皮膚科に通い保湿剤やステロイド剤を使用していました。
アトピーには関係ありませんが左手の親指と左足の親指の付け根にタコができ、液体窒素で焼いて
切ってもらいました。子供心ながら凄く怖くまた痛かったので今でもよく覚えています。
いわゆる小児アトピー性皮膚炎でした。
アトピーは主に膝裏やふくらはぎ、肘窩(肘の裏)に発症しており、アトピーの典型的な原因である汗がたまりやすいかったり蒸れてかゆくなりやすいところでした。
冬場は耳たぶの付け根もあかぎれ状態でした。
鼻水もよく出ており、アレルギー性鼻炎も患っておりました。
喘息はなかったと思います。
小学生時代
小学校へは普通に通っていました。
夏によくなり冬に乾燥して悪化することが多かったのでプールの授業も普通に受けていました。
ときどき悪化すると包帯を巻いて登校しましたが冬だったので長袖、長ズボンで周りからはわからなかったです。
ただ寝る時も掻きむしってしまう対策として包帯をしていましたが、結局掻きむしってしまい、朝起きると血まみれの包帯がかぶれた箇所にくっつき外すとジュクジュク状態になってしまっていました。当時は正しいと思っておりましたが今思うと正直あまり良い方法ではなかったと思います。
周囲の友達へはアトピーであることを知っておりました。(自分で告げたのか親が伝えたのか忘れましたが、、、)ただし友達もよくわからない変な皮膚の病気としか思ってなかったと思います。
保湿クリームを塗っていましたが友達と触れ合ったときにベタベタするといわれて親に「保湿クリームを塗りたくない」と言ったのは何故か記憶に残っております。(親に諭されて結局は塗っていました。)
幸いなことに顔には出ていなかったのでいじめにあったりはしなかったです。(女子とはあまり仲良くなかったので、引かれていたかもしれませんが気にはならなかったです。)
小学校中学年ぐらいからは何故自分はこんな病気にかかっているのか、どうして治らないのかとずっと悩んでいた気がします。
「本気で治したい絶対掻かない」といくら誓っても掻いてしまう。それがアトピーなのです。
起きているときは多少描かないように意識はできるのですが、特に寝ているときはほんとにどうしようもないです。
親は治療には積極的でよく血まみれのシーツを交換してくれました。多分親の協力が無ければこの時期のアトピーはもっと悪化していたと思います。
中学~高校時代
中学になり部活を始めました。野球部でしたが、運動するのが良かったのかそこまでひどくなかったです。肌の状態も良かったのでそんなに薬も塗っていなかった気がします。
夏場は特によくプールも入っていました。
ただし冬場、特に秋から冬の変わり目には急激に肌が乾燥して耳たぶの付け根のあかぎれや膝の裏が悪化しました。
アトピーの影響かわかりませんが腕や足が周りに比べかなり剛毛で、多感なころであったことも加え、自分でカミソリを使って剃っていました。剃れば剃るほど濃くなると聞いたことがありましたが現在は昔よりも濃くなっています。(腕も足も剛毛レベルです。)
高校も引き続き野球を続けていました。
相変わらず秋、冬は悪化し春、夏は良くなるといった感じでした。
ただし高1ぐらいには冬でもそこまで悪化せず、良化の方向に向かっておりました。
小児アトピーは大人になると治ると言われていたのでちょうどその時期だったのだと思います。
「このままアトピーとはおさらばだ!」と思い込んでいたのですが、あることをきっかけに一気に再発しました。
それは高2に友達とスノーボードをしに長野あたりに泊りがけへ行ったことでした。
寒いことに加えて慣れない民宿のようなところでの寝泊まり、スノーボードでの汗(やった方はわかると思いますがかなり暑くなってきます。)それらの要因が積み重なり、体中に蕁麻疹が出て、掻きむしってまたアトピーが悪化しました。この時はおでこも掻いてジュクジュク状態になりました。スノーボード中につけるニット帽が肌に合わなかったのだと思います。
今思うとこれが大人アトピーとしての再発であったと思います。
高2ぐらいから再度悪化し始めましたが、あまり見えるところに症状がなかったので周囲からも何とも思われず普通の青春時代を過ごしたと思います。
大学時代
人生で2番目に悪かった時期です。
原因は明確で不規則な生活です。
大学は実家から遠かったので下宿しましたが、初めての一人暮らしでした。
ろくに掃除もせず、徹夜で友人とカラオケや麻雀などをしたり、自炊もほとんどせず、半額となった惣菜やカップ麺など本当に堕落した生活を送っていました。(一応自身のフォローのためですが授業はきちんと出ていましたし、留年もせずに卒業しました。)
ただしひどくなるのは相変わらず秋、冬の時期でした。
夏も掻きむしってしまうのですが悪化しませんでした。
部屋が汚いのが原因かもしれませんが頭もかゆくなり掻きむしってしまうこともありました。
顔にも多少症状があり、周りからも大丈夫かと思われることもありました。
バイトや遊びなどやりたいことが多く誘惑に負けていました。
ただし4回生になると研究が忙しくまた、社会人に向けて意識しだしたためそこまでひどくはなりませんでした。
社会人~現在
社会人になって規則正しい生活となり、アトピーは秋、冬に悪化するだけのものなりました。
ただし大学時代ほどひどくなく私生活も仕事する上でも影響はありませんでした。
ただしここで人生で1番悪い時期が来ます。
原因は仕事のストレスで私生活の繁忙です。
仕事が慣れてきた3~4年目に大きな仕事が舞い込み繁忙となりました。またやり遂げなければならないプレッシャーもあり、かなりのストレスなりました。
また同時期に祖父が亡くなるなど私生活でも忙しくかなり肉体的にも精神的にもきつかったです。
そして最悪の事態としてアトピーが全身に出ました。顔も含めて全身がジュクジュク状態になり仕事へも行けず、部屋で寝たきりの状態が一週間は続きました。何とか自身で立ち直って、上司からも仕事を減らしてもらうなどのサポートを受けて少しずつ良化させていったのですが、そのときの影響はしばらくはありました。
本当にひどく一晩経つとと服の中に皮膚のカスが一握りできるぐらい山盛りに出ました。
また熟睡などできるはずもなく1~2時間に一度は目が覚めて掻きむしっていました。
ゾンビのような見た目になっており、あの時はアトピーで死ぬのではないかと思ったほどです。
この経験があってからは「何とかなるさ」「ほどほどにいこう」と思うようになり、気楽に生きることを心がけていきました。その結果としてずいぶん良くなっていきました。
良くなっていくうちに友人に街コンに誘われ、現在の妻に出会いました。
その時の馴れ初めはまた時間があれば書こうかと思いますが、アトピーを気にせず、自分の内面を好きになってくれる人です。
二人暮らしとなり、料理ができ、生活力のあり妻のおかげでアトピーはほぼ完治に近いと言っても良い状態に近づいております。油断大敵なので薬は月一でもらい毎晩お風呂上りに塗っております。
最後に
以上が私のアトピーの闘病人生です。
アトピーはそう簡単に治るものではなく、私は一生付き合っていくものであると割り切っております。もちろん子供のころは割り切れるはずもなく、自分も社会人になって最悪に時期を過ごし、妻と出会ったから割り切れるようになりました。
昔に比べると今はアトピーの認知度は高いと思います。
だからといって見た目が良くないアトピーの人たちは必ずしもコンプレックスを抱えていると思います。自分はアトピーだからといって変に気を遣われるのが嫌でした。(気を遣われるとすぐわかります。だからといって気持ち悪いと言ってくるような人とは付き合いたくないものですが(笑))
自分の周りにはアトピーの人が少なく心細いこともありました。アトピーは肉体だけでなく精神的にもかなりくる病気です。どの病気にも言えることだと思いますが、同じ病気を患わないと理解などできないと思います。なのでこのブログを読んで少しでも共感し、気が楽になってもらえる人がいれば嬉しいです。
これからこのブログでは自身がアトピー治療としての体験談などを発信していこうと思います。
平日は仕事や家事に追われ、ブログを書く時間が無いので基本的な更新は土日になると思います。
コメント